LAZYの歴史
2003-02-03


LAZY(レイジー)は、ヴォーカル影山ヒロノブ(かつて、アイドルバンドだったころの愛称は Michell)、キーボード井上俊次(Pocky)、ベース田中宏幸(Funny)、ギター高崎晃(Suzy)、ドラム樋口宗孝(Davy)の5人編成のロックバンドである。

デビュー前のLAZYは、地元の大阪では名の知られたアマチュア・ハードロックバンドだったという。

メンバーが高校生のとき、テレビ番組でディープ・パープルの「Burn」を演奏したのをきっかけに上京、1977年にデビュー。しかし、当時の音楽界の状況から、事務所の判断でアイドルバンドとしてのスタートとなる。

デビュー曲は「Hey! I Love You!」。翌年の「赤頭巾ちゃん御用心」が大ヒット。踊りながら演奏し、衣装もアイドルしていた。

テレビの歌番組でファンになったわたしは、そこで歌謡曲ではなくホンモノのロックの洗礼を受けることになる。とにかく演奏力がめちゃくちゃ高かったのだ。ライブやラジオの歌番組の公開録音などで演奏するハードロックに、次第に強くひかれていった。

1980年、アルバム「宇宙船地球号」の発売と同時にヘヴィ・メタル宣言。「DREAMER」「EARTH ARK」などが収められたこのアルバムは、アイドル時代からのファンのみならず、ロックファンからも注目され、その後20年以上も聴き継がれる名盤となる。

やっと本来メンバーが望んでいたハードロックバンドとしての活動が始まったのだ!

しかし、翌1981年、メンバーの音楽的志向性の違いを理由に、LAZYは解散……。思春期だったわたしたちファンにとって、これほどショッキングな悪夢はなかった。

その後、影山ヒロノブはソロ、高崎晃・樋口宗孝はLOUDNESS、井上俊次・田中宏幸はNEVERLANDというバンドに落ち着き、それぞれの音楽活動に入っていった……。

活動が3年半という短い期間にもかかわらず、これほどわたしがのめりこみ、解散後もずっと好きだったバンドは、ほかにはない。

そして、17年が経った。

1998年、LAZYが「ウルトラマンダイナ」のエンディングテーマ「ULTRA HIGH」で突然の再結成! 信じられない、夢のようなできごとだった。

田中宏幸の復帰が遅れたため、「ULTRA HIGH」のベースは高崎晃が担当したが、レコーディング直後に出演したフジテレビ「Hey! Hey! Hey!」の収録から田中宏幸も参加。
「完全体LAZY」だ!

同じ年にアルバム「Happy Time」も発表し、全国4箇所でのツアーも大成功。

それぞれLAZY以外の個々の活動も充実させながら、それらと相互作用しあうかのように、LAZYの活動もゆっくりしたペースではあるが、着実に進んだ。

そして2002年、発表したアルバムのタイトルは、なんと「宇宙船地球号II」!

1980年の「宇宙船地球号」に収録されていた「EARTH ARK」をよりヘヴィーにリアレンジするなど、22年前の「宇宙船地球号」を彷彿とさせつつ、まったく進化した骨太の大人のロックを聴かせてくれた。

大阪・東京でライヴやイベントもおこなわれ、音楽雑誌にも広く取り上げられている。

今後も、まだまだLAZYの伝説は続く…!!

(by KILA)
[LAZYの紹介]
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